先日、今年の自殺者数が発表された。

そんなものを発表してどうするんだろう?

全ての情報媒体は、「自殺」という言葉を使うことを禁止にすべきではないか?と思うね。


情報として目や耳に入る言葉は、人々の脳になんらかの影響を与える。

「自殺」という言葉を子供が知る事で、「いじめ」での自殺を急増させた。

同じような思いをしている人達は「自殺してもいいんだ…」と思うようになる。

ニュースや新聞がこの言葉を取り上げる度に、安心して死んじゃう人が出てくるんだよ。

下手な情報操作はする癖に、肝心の部分では無頓着だから腹が立つ。


辛い思いをしている人の中では、「死ぬ」という手段が最初から入ってる。

もっとも楽な逃げ道だ。

「何故、自殺しちゃいけないの?」「悲しむ人が居るからだよ」
…という言葉をよく聞くけど、そんな甘っちょろいものじゃないよね。

寿命まで生き続けることが、生まれてきた者の「掟」だろう。

そんなの当たり前じゃないか。

どんなに苦しい事や辛い事があっても、それを背負って生きていくのが当たり前なんだよ。

「そんな事忘れなよ」とか「気分転換が必要」とか言う馬鹿がいるけど、そんな簡単に解決するなら自殺なんてしない。

「その思いと共に生きていけ」と言ってあげるべきだ。

苦しさも楽しさも、まとめて背負って生きていく。

人は進化と共に、多様な感情を持ち過ぎた。

ならば、全ての感情を確りと受け止めて、担いで歩いていく。

それが人間の生き様じゃないのか。


自殺した人間を「○○さん」付けで報道するのもおかしいね。

他殺と自殺は、根本的に同じもの。

生物としての定めを逸脱する行為だ。

厳しく教えるべきだよね。

…というより、報道するな。


生きたくても余命僅かな人達がいる。

訪れる死を前に、凄い密度の人生を生きているはずで。

その中でも楽しい時間だってあるかもしれない。

それは計り知れない程の宝物なんじゃないかな。

そんなことを考えたら、自分なんかは謝るしか無いよ。

生きるために生きている野生の動物達だって同じ。


彼らに対して、失礼だと思わないのだろうか?

自ら命を断ち切る前に、考えて欲しいよね。




本日はK-1グランプリ2009。

という事で、久しぶりに観ました、K-1。

昔はベスト8の選手はレベルが拮抗してたけど、今はある程度の差が出来てきたような気もする。

バダ・ハリはスター性もあるし面白い試合をするけど、解説者から皆が応援しているのは、ちょっとフェアじゃないなぁ…。

あとカラエフくん…もうちょっと落ち着いて試合したら、わりかし強そうだけど…それも魅力か(^^;)


しかし、今回の大会は面白かった!!

バンナが寂しかったけど…。

KOというのは、醍醐味だね~。

ちなみにアリスター…ちょっと見ないうちに、全然体格変わってる…(^_^;)

あんなゴツかったか!?


と、ここで思ったのが、立ち技が本業ではないアリスターがベスト4入りってのは、逆に問題じゃなかろうか?

K-1選手は立ち技のプロのはずだし、その為のテクニックを磨き続けているはずで…。

パンチや膝蹴りも、そうそう簡単には喰らわない気がするけど。

モーションも見えなきゃいけないように思うし…。

レベルが上がっているのか、下がっているのか解らない気がする。
(KO重視は良いけど、ややボクシング技術が落ちてる感じ)

本来なら彼は、「ゲイリー・グッドリッジ」的なポジションじゃないか?

面白くする為に、「打ち合え」という指令があるのかもしれないけどね。


ともあれ、今からファンを探したいんですょ…(^^;)

大好きだった選手が、皆、衰えてしまったし(セフォーが、米国MMAデビューって大丈夫か?)。

どんなに打たれても倒れないし盛り上げ上手…という、ハントやセフォータイプが居ない。

イグナショフが残っていれば、一番応援してるんだろうけどなぁ…。


今回の大会で、また注目度が上がると面白いね♪

マーク・ハント、カムバック!!


そして毎度感動するのは、三宅さんの実況ね。

これはもう最高・最強の本物のプロょ。

この人以上の実況は誰も出来ないんじゃないか?

リングインの時の話術は、鳥肌物。

試合中の実況も、完璧!!

嫌いなフ○テレビ・アナウンサーの中で、唯一飛び抜けたプロが居るって感じ。


と、熱く語りましたが、シュルトには素直に「おめでとう」と言える大会だったです。

自分もダイエットを兼ねて、シャドーボクシングの真似事をしています(涙)

いやぁ、良い試合だったね。

テレビで観たけど、何より「解説者がプロだけ」というのが嬉しい。

冷静な解説と、平等なコメントは何より大切だと思う。
(※実況アナウンサーが「内藤応援」でちょっとゲンナリしたけど。)

亀田選手の試合は初めて観たけど、相当上手い感じがした。
(サウスポーだとも知らなかった)

あのカウンターは鮮やか(!)だし、これで実力は証明されたんじゃないか。

ホントはKOで内藤選手に引導を渡すのが一番良かったんだろうけど、恐らく、亀田選手にとっては「因縁の対決」では無かったような気がする。

「弟の仇」というのも、マスコミ用だね。

「内藤vs亀田」では無く、「チャンピオンになる事」の比重が大きかったように思える。

単純に「チャンピオンベルト」を慎重かつ確実に奪った、というだけだろう。

それだけの実力差が見えた(勿論、内藤選手の年齢的な部分も含めて)。

彼にはまだまだ野望がある。

まず二階級制覇、そして三階級制覇へ。

ボクシング界にとっての、貴重な「スター」になるのは間違いないね。

ユーリや鬼塚や辰吉らが居なくなった後の、日本ボクシング界の宝。

プロだから「アンチ亀田」も多いだろうけど、それもまた個性の強さがあるからこそ。

これからも、面白い試合を期待したいっす!!

いつの間にか「人が人を裁ける」時代になってしまったようだ。

時代を逆行している気がするけど、今回は制度よりも報道の仕方について語りたいと思う。

最も重要なのは、裁判員に選ばれた人では無いはずだよね?

大切なのは、被害者や犯人扱いにされた容疑者(冤罪)の人達の気持ちだろう?

「面倒だけど、選ばれたからしょうがない。」

そんなヤツに被害者の人が判決を委ねられると思うのか?

「通知が来ても慌てずに」って…。

そんなことで慌てるようなヤツなら、犯人でもない人物があっさり有罪扱いにされるよ。

裁判員制度っていうのは、「人が人を裁く」という事がどんなに重要かを、噛み締めさせてから導入するべきだ。

メディアが行うことは、それを伝える事だろう。

断れる理由を書いたり、行きたくない人達のコメントを載せることが仕事じゃないはずだ。

いかに被害者や加害者の事を考えて、重い判決を下すことの意味を国民に考えさせるのが、メディアが行うべき仕事のはずだ。

裁判官や裁判長だって、人を裁く事で体調を崩したりする人が居るくらいなのに。

「面倒だけど、選ばれたから来ました」なんて言うヤツが人を裁いてよいのか?

根本的なとこを取り上げるのが、ワイドショーやニュース・新聞じゃないのか。

もう一度書きますが…。

被害者は勿論、判決を下される加害者の精神面こそ大切であって、裁判員は主役でもなんでもないんだ。

勘違いも甚だしい。

「通知が来ないように祈ってます。」

って、あんたが被害者になる可能性だってあるんだから…。

その時に、同じようなヤツが裁判員だったら、どう思う?